大和タケル
第二回は2.28事件の顛末と
その後の台湾についてまとめました
爆発した本省人(台湾人)らの怒り
1947年2月28日 国民党官憲の暴力と
目の前で射殺が行われた事に対して
積もり積もった本省人らの怒りはついに
激しく燃え上がりました
この時 顔つきなどでは本省も外省も
ほとんど見分けがつかないので共通の合言葉として
本省人なら誰もが口づさめた「君が代」を歌い
歌えない外省人を排除して行進したといいます
さらにラジオ局から 本省人決起の激文を流すなど
抵抗運動はどんどん広がりを見せていきます
これに対して国民党軍は徹底的な弾圧に乗り出しました
国民党軍による虐殺
市民らの大規模デモなどが続く間に国民党軍は
反撃の準備を整えました
1万3000人の鎮圧部隊が到着すると まず手始めに
埠頭にいた労働者たちに 警告も無しに銃撃を始めます
この時に使われた機関銃はブローニングなど
米国給与兵器だったのもなんとも皮肉な話です
更に恐怖を植えつけるためなんでしょうが
「粽(チマキ)」という処刑法がとられたという
証言がいくつもあがっています
これは本省人ら数人をセットにして
その手に針金を刺し込み縛って束ね港まで運び
そのまま基隆港に投げ込んで殺したといいます
(台湾史学者 楊逸舟・談)
未計画な決起と組織的国民党の差
この市民決起に関していくつか資料を見てみても
例えば 軍用倉庫から小銃を奪って武装したとか
工事現場からダイナマイトを持ち出した等の記述はありません
つまり本省人側には 武装蜂起的な計画はほぼ皆無だったようです
一方で国民党側は元々 この機会を狙っていた節があります
つまり この厳しい弾圧は決して偶発的におきたのではないと思います
その証拠の一つになるのが 蜂起未参加の者まで逮捕されている点です
台湾にある事件の資料館
例えば当時 行方不明となった阮某氏の家族の証言では
その人のような批判的知識人は既にリストアップされており
次々と捕らえられていったと証言しています
これは別の記事内容とも一致します
「林連宗、李瑞漢、弟で同じく弁護士だった李瑞峰
の3人で夕食をとっていたところ、国民党軍の憲兵数人が
やってきて、3人全員を連行。それ以降、消息不明となった」
松野 良一氏/中央大学のページより
また日本に近い者だけでなく毛派中共系の人間も同時に
粛清する つまり国民党に逆らう者たちを一挙に始末する
絶好の機会だったと思えます
1992年の台湾行政院の発表では この2.28事件で
2万8000人もの本省人が殺されたとのことです
その後も40年間 抑圧が続いた
しかももっと悪いことはこの弾圧以降
国民党による本省人への強圧的支配が続いたことです
これは中共軍によるチベットやウィグルへの弾圧支配と
まったく同じ構図です
しかも60年代当たりならまだしも 80年代前後も
民進党支持者にはずいぶんと酷い取調べがあったようです
そうしたことの現れでしょうか
祖父が犠牲となった台北の柯文哲市長は馬英九総統
からの握手を三度までも拒否したそうです
こんなことがあっても 中共の靴を舐め続ける馬英九は
本当に鬼畜だな
日本軍が救援に来ると信じての決起
自分が この2.28事件を知って最も辛かった部分は
蜂起した本省人の多くが「もうすぐ日本軍が援軍に
来てくれる」と信じながら 殺されていった点です
終戦した後とはいえ 結果として台湾人らを見殺しに
したのは事実です
だったらせめて台湾の国連再加盟を実現するのが
日本の使命ではないでしょうか?
国連は台湾という国家全体を差別するのか?
もし そうなら史上最悪の差別組織ということになります