国民党の大虐殺
 2.28事件と前後の時代1


大和タケル
   
2.28事件とは、1947年2月28日に台湾の台北市で発生した 
国民党政権(外省人)と本省人(台湾人)との大規模な
衝突でした


この事件以降 当時はまだ日本国籍を有していた
本省人(台湾人)と台湾居住の日本人に対する
長期的な弾圧は台湾全土に広がっていきます

最も基本的なことは国民党/外省人である戦後に大陸
から渡ってきた中国人が戦前戦中 いやそのずっと
以前から住んでいた本省人/台湾人を支配したという点です

さて この2.28の虐殺事件についてはネットなどでも 
取り扱っているページは少なくありません

ですが ここに至る経緯とその後にはあまり触れて
いないように感じるので かいつまんでまとめました

大陸での国民党軍

 国民党軍は中共軍と戦っていたので つい右派かと
思ってしまうんですが 元々は旧ソ連軍形式の国民革命軍
であり 実態は共産軍と大差ないでしょう

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みなさんは漢奸(かんかん、ハンジェン)という
言葉を知っているでしょうか?
 
漢奸として殺された者は晒し首にされた


これは漢族内の裏切り者/売国奴という意味の言葉で
親日派を指すものでしたが 特に上海における国民党軍や
南京での中共軍が 少しでも逆らう者には この漢奸の
レッテルを貼って見せしめとして殺していました

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通州事件において国民党軍に虐殺された日本人

また通州事件においては 国民党軍は通州守備隊を
壊滅させたあとに日本人居留民385名のうち223名を
虐殺しています

中国大陸の軍隊は まずこうした部隊だったいう点を
頭において読んでいってください


1945年 新たな支配者として国民党軍現る
日本がWW2に破れた後 蒋介石率いる
国民党政府が台湾に進駐し行政権を取りました
その国民党軍についての当時の証言があります





"それまで日本兵しか見たことのなかった私は、
兵隊というものはピシッとしているものだと思っていました。
それが、シナ兵/国民党軍は裸足でボロボロの服を着て、
こうもり傘を担いでだらだらと歩いていました。
中には鼻をかんだり、痰を吐いている人もいる
まるで乞食の行列でした。

女学校の先生方も口をあんぐり開けていました。
台湾人全部が同じ思いだったと言っても過言ではないでしょう"

(楊素秋著「日本人はとても素敵だった」より抜粋)

また めぐり合わせが悪かったのは国民党軍でも
主要部隊はまだ大陸で戦闘中であり 台湾にやってきたのは
規律の悪い連中だったということもあるでしょう

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しかも当時の台湾は 同化政策によりほぼ日本国内並みに
富裕となっていっていました
もし 飢えた規律の乱れた軍閥が 豊かで無防備な
都市に入り込んだらどうなるのか?

かつての洛陽などで起きた事が繰り返されることになります

酷すぎた国民党のやり口

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大陸でも台湾でも 逆らう者を
容赦なく殺した国民党

そして施政が始まってみると 今度は身なり以上に
悪い国民党の行状 軍人や官僚による強姦や強盗 
果ては殺人までが繰り返されたが 報道も罰せられる
こともなかったのです

犬が去って 豚が来た
これは うるさい番犬の日本人が去ったら
貪欲なだけの国民党支那人が来た という意味です

積もった不満がついに爆発した
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こうした不満が渦巻いていた台湾で
1947年2月28日に ついに本省人たちの
怒りが爆発しました

発端は台北市でタバコ販売をしていた林江邁と
いう女性を国民党官憲が銃剣の柄で殴りつけた上に
所持金などを没収します

これに怒った民衆に威嚇発砲した弾が
無関係な陳文渓という人に当たり死亡した
ことから 人々は激昂し大規模な激突に
発展していきます

この後の展開は 長くなりましたので明日の記事に
続きを書きます



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